関ジャニ∞最後の日

解散以外で「関ジャニ∞最後の日」が来るなんて、思ってもみなかった。今でも信じられない様な、ふわふわした気持ちでいる。

何をツイートしようか、書いては消してを幾度となく繰り返して、あまりにも文字数が足りないしツリーを長くするのも違う気がして、遂に、はてなブログを投稿しようと思う。

 

色んな人が関ジャニ∞との歴史を書いていて、それを読むのが好きなので、私も自分と関ジャニ∞の歴史でも書こうかと思う。ただ、私はニワトリよりも記憶力が悪いので、時系列がおかしかったり間違った記憶もあると思うけど気にしないで欲しい……というかこんな文章読む人いないか…笑

 

私が関ジャニ∞の存在を初めて認識したのは2007か2008年の時、友達と自分が通っていた幼稚園のお祭り(?)に行った時にタダで配っていた漫画の付録か何かの冊子の表紙でだった。

家であまりバラエティやドラマを見ていなかった影響もあって、芸能人に疎かった私は、口からカラフルな煙を吐く写真(ズッコケ男道のジャケ写)を見て、何これ…タダだっていうから貰ったけど要らないかも…と思ったのを今でも覚えている。

中身をパラパラと見ただけで、あまり気に留めずに本棚にしまった。

この時の表紙の人たちが関ジャニ∞だったと気付いたのは、関ジャニ∞にハマってから少し経ってからだったと思う。

 

それから数年が経って、友達が次々と嵐ファンになりジャニーズや嵐について毎日長々と話を聞くうちに、すっかり自分もジャニオタになっていった。翔くんや知念くんのゆるめのオタクをしていた私が、関ジャニ∞を推し始めたのは2011年の冬か2012年の初め頃だったと思う。

2010年にiPod touchを買ってもらったのをきっかけに、暇さえあればYouTubeを見ていた私は嵐やNYC関連の動画をあらかた見てしまって、関連動画に出てきた村上くんと大倉くんの岩茸取りの動画で、大倉くんかわいい!!!となったのを境に、関ジャニ∞の動画見まくった。

2011〜2013ぐらいまでは嵐と関ジャニ∞半々ぐらいの掛け持ちで、2014ぐらいからは関ジャニ∞メインになったと思う。

 

始めは岩茸の動画きっかけだった事もあって大倉担だったけど、パパドルに出てきたハーフハゲ期(片方刈り上げで金髪パーマをかき上げた髪型)のヤスを見て、こんなかっこいい人いたっけ?これヤス!?かわいい🥺となり、ここから倉安担を自称するようになった。

もしこの髪型をきっかけに安田担になった人がいれば語りたいので連絡して欲しい、、、笑

 

ジャニオタになったとはいえ、バイト禁止の学校に通っていて芸能人に興味のない両親と暮らしていた私は、長いことCDやグッズを買い漁ったりはせずにお茶の間ファン的な感じで、たまにお小遣いでCDを買ったり、エイトが表紙の雑誌を買うぐらいだった。

初めてのコンサートは高2の時の関ジャニズムで、それまでコンサートに一度も行ったことがなかったしライブDVDもほぼ見たことが無かったので、本当に感動して、それからしばらくの間寝る前に部屋を真っ暗にしてからペンライトを付けて、コンサートを思い出したりしていた。

アルバム曲をあまり聴いてなかったのと、場所的に少し見難い席だったこともあって、初めてのコンサートで1番印象に残ったのはペンライトの綺麗さだったけれど、今でもあの光景を思い出して泣けるぐらいには綺麗だったので、あの席で良かったと思っている😌✨

 

自分のお金でファンクラブに入ろうと思っていたので、大学生になってバイトを始めてからファンクラブに入った。(その前のコンサートはTwitterで相互の人の同行で入った)

2016年、大学生になってお金も時間も自由が増えてグッズやCDを集める様になった。

 

2014〜2018の始めまで本当に楽しくて、永遠を信じて疑わなかったし、いつかテッペン取るって思ってた。そして7人が一生関ジャニ∞として生きていくと思っていた。

メトロックに出演した時のTwitterのトレンドの埋まり具合は、今思い出しただけでも鳥肌が立つぐらいすごかった。始まる前は関ジャニ∞をバカにしたり、ジャニーズのくせにという声もチラホラあって、不安だったのに終わってみると絶賛の声ばかりで、うちわやヒールでいたというeighterへの批判はあれど、関ジャニ∞への批判は全く見かけなかった。

 

2018年の4月、友達から「これ本当?渋谷辞めるの?」と週刊誌のスクショと共にLINEが来た。それまで私はその話を一切知らなくて、オタ垢はいつも通り見ていたはずなのに、私のTLには流れてきてなかった。

「どうせ週刊誌でしょ?すばるくんが辞めるわけないじゃん、あの人関ジャニ∞大好きだし、1人で芸能活動上手くやれる気がしない笑笑」と本気で思っていて、1ミリも信じていなかった。

数日後にもう一度同じ子から「また記事出てるよ!本当に辞めるんじゃない?」と言われて初めて、すばるくんが関ジャニ∞を辞めたらどうしようと考えた。それでも6人の関ジャニ∞と1人で活動するすばるくんがピンと来なさすぎて、やっぱりガセに違いないと思った。

公式から発表が出る少し前に、「味園ユニバース」のリバイバルを観に行っていて、やっぱり関ジャニ∞にはすばるくんの歌声が必要だなー、すばるくんの歌好きだな🥺となっていたので余計にショックが大きかった。

2018年4月15日多分一生忘れることが出来ないであろうこの日は、朝から資格のために講座を受けに行っていて、「大切なお知らせ」が届いたのは講義中だった。普段は講義中に携帯を開くことはまず無かったけど、その日は居ても立っても居られなかった。ずっとサイトを開いて更新を待っていて、時間ピッタリに読み込もうとしても全く開かなかった。自分の目でちゃんと見たくて、10分以上悪戦苦闘していたけれど、全然見られる気配もないので諦めてTwitterを開いた。予想してたのに現実だとは思えずどこか他人事の様だったのにTLを見てるうちに実感が湧いてきて、涙が出てきた。講座の途中の休憩時間にトイレに行って泣いた。床に涙がポタポタ溢れるほど泣いた。もう講義なんて受けていられないと思い、休憩時間中に荷物をまとめて外に出た。友達から「大丈夫?バイト前の2時間なら会えるけどどうする?」とLINEが来てたので、コンビニでマスクとティッシュを買ってすぐに新宿に向かった。

電車の中でもボロボロ泣きながら、友達に会いに行った。2人でカラオケに行って、歌いもしないのに関ジャニ∞の曲をひたすら入れてただただ泣いた。

しばらくの間はふとした時に涙が止まらなくなって、大学の授業やゼミをサボったりしていた。人生で1番泣いたし1番しんどかったのはこの時だと思う。

 

2019年初めて遠征というものをして、名古屋公演に入った。十五祭のオープニングでまたボロボロ泣いた。東京のオーラスにも入って、セトリや雰囲気から関ジャニ∞終わる?誰か辞める?とすごく不安になった。2018年〜2019年にかけて、ヤスくんの体調も含めてグループとして結構ガタガタで、すばるくんの存在の大きさやグループの人数が変わるという事の大変さがとても伝わってきていた。それなのに十五祭のオーラスは変に綺麗でスッキリしていた気がして、公演中からずっとソワソワドキドキしていて、誰か辞める?絶対辞めるじゃんと不安になって、有終の美を飾るという言葉が頭をよぎった。最後にto be continueという文字が出てきた時に、一緒に入った友達は「良かったじゃん!関ジャニ∞続くってよ!」と励ましてくれたけど、名古屋の時には無かったその文字に、余計に焦りや不安を覚えた。

 

その2日後、亮ちゃんの脱退を旅行先で知った。家族で九州旅行をしていて、道の駅で携帯を開いた時にLINEニュースでその事を知った。すばるくんの時の様な悲しみや驚きは無くて、あぁ…やっぱり…あの公演が6人の最後だったんだ…だからか…と妙に納得したというか、腑に落ちたのを覚えている。

 

5人で47都道府県ツアーをやると聞いた時は驚いたし、なんか焦ってる気がする…バッと燃えて燃え尽きたりしないかと不安にもなったけど、とりあえず何がなんでも行きたい!!と思い、倍率が低そうな県かつ2020年3月までの日程の公演に申し込んだ。4月から就職で新入社員が希望休や有休は使えないだろうし、土日休みの仕事でもないので予定が見えなかった。

第二希望で申し込んだ島根が当選し、バイト先やサークルの人、家族、友達ありとあらゆる周りの人に当選した凄さと喜びを伝えた。当選発表の日はバイトを入れていて、休憩中に当選を知って休憩中に郵便局まで走りお金を振り込んだ。

人生初の一人旅。鳥取青山剛昌記念館と砂丘に行って、コンサートの日はゆっくりして、最終日に出雲大社行こうかなーー、宍道湖シジミも食べたいし、大山鷄も食べたい、えー楽しみだな🥰と盛りだくさんの予定を立てていたのに、コロナのせいで公演が中止になった。人生で2番目に落ち込んだ。(1番目はすばるくんの脱退)

中止が決まった次の日、半分ヤケクソで「予定空いたし就職してからだと難しいかも」と考えて真横に生えてた下の親知らずを抜きに行った。思いっきり腫れて顔の形が変わったけれど、47が中止になった事がショック過ぎて、痛かったかどうかもあまり覚えていない。

 

2018年〜2021年まで、正直にいうと関ジャニ∞へのモチベーションは低くて、何度か、もういいかなと思った瞬間もあった。関ジャニ∞の空気感もそうだし、推し(ヤスくんのビジュ)の変化も受け入れられずにいた。病気のことも勿論分かってるし、サングラスと髪型はそこまでじゃないけど、ヒゲと拡張ピアスが苦手だった。

2021年の冬にやっとコンサートが出来るようになって嬉しかったけど、なんかしっくり来ない…昔の方が良かった…と思ってしまった。MCの面白さとかジュニアが出てる時間とか…少しモヤモヤしていて、無理して推すのは失礼だしな…と何度か思ったのに結局離れられなかった。

 

5人の関ジャニ∞をちゃんと好きになって受け入れられるようになったのは、多分18祭の日産スタジアム(2022年夏)に入った後からだと思う。5人の関ジャニ∞をもっと見たい、もう大丈夫な気がする、7人時代と空気感が似てきてバランスが取れてる気がする、と感じたのを覚えている。

その後18祭冬は福岡にも遠征して、完全にモチベも戻って不安も消し飛んでいたと思う。

 

なんか大丈夫そう!これからもっともっとオタ活するぞ!!と思っていた2023年、社長が代わり、事務所の名前が変わり…色んな事があった。真実は私には分からないけれど、少なくとも加害者ではない、何も悪くない推し達が仕事を奪われ叩かれるのを見ることしか出来ない私はやっぱり無力だな…と思った。世の中に、悪意を持った人がこんなにも居るのか、そしてそれ以上に、何も知らずに批判だけする人がこんなにもいるのか…と怖くなった。

会社の会見があった日すぐに動画が上がって、笑いを混ぜつついつも通りに正直に話してくれる5人の姿を見て、グループ名が変わっても絶対大丈夫だなと思った。

いざ今日が関ジャニ∞最後の日となると、本当に悲しくて悔しくて寂しくて、嫌だ嫌だと駄々を捏ねたくなるけれど、私は関ジャニ∞を信用してるので、絶対大丈夫だと確信してる。

そういえば、下元8運という8がパワーを持つ期間が2004/02/04〜2024/02/3らしい。関ジャニ∞がデビューした年から、「関ジャニ∞」の幕が閉じる今日まで。狙ったのか、偶然か、運命か、いずれにせよ、8に守られ8に救われた20年だったように思う。

グループ名が変わったって、中身は何も変わらない。5人が仲良く楽しく健康で、笑っていてくれればそれで十分。

 

最高で最強の関ジャニ∞が大好きです。

 

そして、eighterも大好き。ここ数日色んな人が関ジャニ∞への想いをツイートしてて、本当にみんなすごく前向きでポジティブで見習いたいと思った。

特に改名することの考え方がいいなと思った。

改名することで、「関ジャニ∞」は永遠に解散しないグループになった。とか、出世魚みたいなもので、大きくなったから名前を変えてもっともっと成長して大きくなっていく。とか…他にも沢山素敵な考え方があって、嬉しくなった☺️

 

改めて、関ジャニ∞ありがとう!!!

同じ時代を生きて、出会えて、好きになれた事。本当に奇跡のようで、嬉しく思います。

12、3年前の自分も、関ジャニ∞を好きになってくれてありがとう。おかげで毎日楽しく生きられてます。

 

関ジャニ∞ありがとう。

明日から新しい名前になっても、変わらず応援し続けます!

eighterで良かった!

 

2024/02/03